亀山市に残る東海道の宿場町
東海道五十三次の四十七番目の宿場町「関宿」
亀山市には四十六番目の「亀山宿」と四十八番目の「坂下宿」の三つの宿場がありました。東海道で最も美しいと言われている「関宿」、江戸時代から明治時代頃に建築された約二百軒もの歴史的な町並が残っているのは珍しく、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。約2㎞程、続く道は、昭和六十一年に日本の道百選にも選ばれました。
季節ごとの趣がある関宿を一度では無く、何度も足を運んでいただきまして、江戸時代にお伊勢参り、参勤交代で往来した旅人の気分で散策してみては如何でしょうか。
東側にそびえる「鈴鹿峠」
旧東海道の背景の魅力「鈴鹿峠」は浮世絵にも描かれています。
近江国と伊勢国の境にその当時の旅人は越えなければならない標高三七八メートルの「鈴鹿峠」越えは「箱根峠」に次ぐ難所と言われていたようです。
当時の旅人の気分で関宿を歩いていると「鈴鹿峠」の麓にあった「坂下宿」にも出かけたくなりました。「鈴鹿馬子唄会館」にもよって、馬子(まご)のことも知り、当時は難所だった「鈴鹿峠」の道を馬を牽いて旅人を運ぶ職業「馬子」の人達がいた。その「馬子」の苦労を癒す馬子唄が「坂は照る照る 峠は曇る あいの土山雨が降る」と唄われた有名な鈴鹿馬子唄であることを知りました。
●鈴鹿馬子唄会館
鈴鹿峠を発祥の地として、「坂は照る照る 峠は曇る あいの土山雨が降る」と唄われた
鈴鹿馬子唄や坂下宿についての資料を展示
・営業時間/9:00~17:00
・毎週月曜日休み、年末・年始
・(住所)亀山市関町沓掛234
・アクセス/JR関駅から車で15分
・TEL:0595-96-2001
・鈴鹿馬子唄の発祥の地が鈴鹿峠の麓の坂下宿
歴史の道のはじまり
この古い町並みを昔の旅人の気分になったつもりで散策してみてはいかがでしょうか。
東海道と伊勢に向かう伊勢別街道とに分かれる「東の追分」江戸から数えて四十七番目の関宿はここから始まります。
当時は神宮への参拝者はもちろんの事、京に上る旅人が東海道の三大難所(諸説ある)と言われた鈴鹿峠を前に鋭気を養いました。また、峠を越えてきた旅人が一ときの休息を求めるなど最盛期には一日に一万人の人々が行き来をしたそうです。
早咲きの花たちもチラホラ!
3月の中旬の関宿で撮影した写真を掲載しています。4月には見事な満開の桜が旅人を迎えてくれていることでしょう。
虫籠窓(むしこまど)や漆喰の塗込壁は上品な趣を感じますね。